はじめに
【筆者】
清少納言
【成立】
平安時代(1001年ごろにはほぼ完成していたか)
〔平安時代は794~1185年ごろ〕
【ジャンル】
随筆
【特徴】
平安時代中期に中宮定子に仕えた清少納言が書いた随筆。本来は「まくらそうし」と呼ばれる。『枕草子』は『源氏物語』の心情的な「もののあはれ」に対して、知性的な「をかし」の世界観を作った。前者は、見て聞いて感じたものをしみじみと思うような感覚で、後者は、感じたものを客観的に捉え表現するようなものと言われる。
ここではたくさんの敬語が出てきます。
主要登場人物が、中納言隆家、定子、清少納言(筆者)くらいなので、人物関係が煩雑にならずに敬語を学習できます。
要約
中納言隆家が中宮定子のもとに持ってきた扇の骨を、隆家は「誰も見たことのないほどの骨」だと自讃するので、(わたくし)清少納言が「くらげの骨のようだ」と言ったところ隆家に感心された。これを自分で書くのは恥ずかしい。
解説
本文
中納言参り給ひて御扇奉らせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを張らせて参らせむとするに、おぼろげの紙はえ張るまじければ、求め侍るなり。」と申し給ふ。「いかやうにかある。」と問ひ聞こえさせ給へば、「すべていみじう侍り。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり。』となむ人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ。」と言高くのたまへば、「さては扇のにはあらで、海月のななり。」と聞こゆれば、「これは隆家が言にしてむ。」とて、笑ひ給ふ。
かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つな落としそ。」と言へば、いかがはせむ。
【注付】
中納言※1参り給ひて※2御扇奉らせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを張らせて参らせ☆1むとするに、おぼろげの☆2紙はえ張るまじけれ☆3ば、求め侍るなり。」と申し給ふ。「いかやうにかある☆4。」と問ひ聞こえさせ給へば※3、「すべて☆5いみじう侍り。『さらにまだ見ぬ骨☆6のさまなり。』となむ人々申す※4。まことにかばかりのは見えざりつ。」と言高くのたまへば、「さては扇のにはあらで、海月のななり。※5」と聞こゆれば、「これは隆家が言にしてむ☆7。」とて、笑ひ給ふ。
かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど※6、「一つな落としそ☆8。」と言へば、いかがはせむ☆9。
補足・注
※1中納言…藤原隆家のこと。
※2参り給ひて…中宮定子のもとへ参上した。
※3問ひ聞こえさせ給へば…中宮定子が隆家に聞いた。
※4申す…「申す」は「言う」の謙譲語。ただ謙譲語はⅠとⅡに分けられる。謙譲語Ⅰは、動作の受け手に対する敬語である。「私が先生に申す。」などで、先生という動作の受け手に敬意を表している。一方で謙譲語Ⅱは、「私は○○と申します。」などで、ここには動作の受け手が存在しないため、聞き手に対する丁寧語のような意味を表す。このようなものを謙譲語Ⅱといい、丁重語ともいう。
※5ななり…「なるなり」の撥音便の無表記化。断定「なり」連体形+推定「なり」終止形で「なるなり」がもともとの形だが、撥音便を起こし「なんなり」となる。撥音便とは発音の都合「ん」に転じること。さらに、「なんなり」から「ん」が表記されななくなった。
※6かたはらいたきことのうちに入れつべけれど…きまりの悪いことの中に入れておくべきだが。作者(清少納言)はこのやり取りを記録したくなかったか。なお、直前に「かやうのことこそは」と係助詞「こそ」がある。そのため普通「入れつべけれ。」と文が終止し、係り結びになる。しかし、接続助詞「ど」が接続しているため係り結びが流れている。これを、結びの流れ、結びの消滅、結びの消去という。
重要単語・文法
☆1参らせ…差し上げる。サ行下二段「参らす」連用形。「参らす」で一語。
☆2おぼろげの…普通である、並み一通りである。
☆3え張るまじけれ…張ることはできそうもない。副詞「え」は打消表現を伴い「~できない」となる。+打消推量「まじ」の已然形。ここでは不可能「できそうもない」。
☆4いかやうにかある…(その骨は)どのようなものか。「いかやうに」は「どのようだ」。「か」は疑問の係助詞。「ある」は、係助詞「か」があるので係り結びで連体形。
☆5すべて…たいへん。まったくもって
☆6さらにまだ見ぬ骨…まったく今までに見たことのない骨。「さらに」は打消表現を伴い「まったく~ない」となる。
☆7てむ…~してしまおう。「てむ」は完了・強意「つ」未然形+推量「む」。完了・強意「つ」は「てむ」で用いられるときほぼ強意となる。
☆8な落としそ…書き落とすな。「な~そ」で「~するな」となる。
☆9いかがはせむ…どうしようか、いやどうしようもない(=書くしかない)。「いかがは」は疑問や反語を表す。副詞「いかが」+係助詞「は」+サ変「す」未然形+推量「む」連体形。「む」が連体形なのは、「いかが」が係っているから。
現代語訳
中納言(隆家)が(中宮定子のもとへ)参上なさって、御扇を(中宮定子に)差し上げなさるときに、「この隆家はすばらしい(扇の)骨を手に入れています。それに(紙を)張らせて(定子様に)差し上げるつもりですが、並大抵の紙は張ることができないので、(その骨にふさわしい紙を)求めております。」と申し上げなさる。(中宮定子が)「その骨はどのようなものか。」とお聞き申し上げなさると、「たいへんすばらしくございます。『まったく今まで見たことのない骨の様子です。』と人々が申す。本当にこれほどのものは見たことがない。」と声高くおっしゃるので、(私が)「そうであるならば扇の骨ではなく、海月の(骨)であるようだ。」と申し上げると、「これを隆家の発言にしてしまおう。」といって、笑いなさる。
このようなことは、ばつが悪いことの中に入れておくべき(記録したくないことなの)だが、「一つも書き落とすな。」と言うので、どうしようか、いやどうしようもない(=書くしかない)。
【現代語訳と本文】
中納言(隆家)が(中宮定子のもとへ)参上なさって、御扇を(中宮定子に)差し上げなさるときに、「この隆家はすばらしい(扇の)骨を手に入れています。それに(紙を)張ら
中納言参り給ひて御扇奉らせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを張ら
せて(定子様に)差し上げるつもりですが、並大抵の紙は張ることができないので、(その骨にふさわしい紙を)求めております。」と申し上げなさる。
せて参らせむとするに、おぼろげの紙はえ張るまじければ、求め侍るなり。」と申し給ふ。
(中宮定子が)「その骨はどのようなものか。」とお聞きになると、「たいへんすばらしくございます。『まったく今まで見たことのない
「いかやうにかある。」と問ひ聞こえさせ給へば、「すべていみじう侍り。『さらにまだ見ぬ
骨の様子です。』と人々が申す。本当にこれほどのものは見たことがない。」と声高くおっしゃるので、
骨のさまなり。』となむ人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ。」と言高くのたまへば、
(私が)「そうであるならば扇の骨ではなく、海月の(骨)であるようだ。」と申し上げると、「これを隆家の発言にしてしまおう。」と
「さては扇のにはあらで、海月のななり。」と聞こゆれば、「これは隆家が言にしてむ。」と
いって、笑いなさる。
て、笑ひ給ふ。
このようなことは、ばつが悪いことの中に入れておくべき(記録したくないことなの)だが、「一つも書き落とすな。」
かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一つな落としそ。」
と言うので、どうしようか、いやどうしようもない(=書くしかない)。
と言へば、いかがはせむ。
【現代語訳と本文〔注付〕】
中納言(隆家)が(中宮定子のもとへ)参上なさって、御扇を(中宮定子に)差し上げなさるときに、「この隆家はすばらしい(扇の)骨を手に入れています。それに
中納言※1参り給ひて※2御扇奉らせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。それを
(紙を)張らせて(定子様に)差し上げるつもりですが、並大抵の紙は張ることができないので、(その骨にふさわしい紙を)求めております。」
張らせて参らせ☆1むとするに、おぼろげの☆2紙はえ張るまじけれ☆3ば、求め侍るなり。」
と申し上げなさる。(中宮定子が)「その骨はどのようなものか。」とお聞きになると、「たいへんすばらしくござい
と申し給ふ。「いかやうにかある☆4。」と問ひ聞こえさせ給へば※3、「すべて☆5いみじう侍
ます。『まったく今まで見たことのない骨の様子です。』と人々が申す。本当にこれほどのものは見たことがない。」
り。『さらに☆6まだ見ぬ骨のさまなり。』となむ人々申す※4。まことにかばかりのは見えざり
と声高くおっしゃるので、(私が)「そうであるならば扇の骨ではなく、海月の(骨)であるようだ。」と申し上げると、
つ。」と言高くのたまへば、「さては扇のにはあらで、海月のななり。※5」と聞こゆれば、
「これを隆家の発言にしてしまおう。」といって、笑いなさる。
「これは隆家が言にしてむ☆7。」とて、笑ひ給ふ。
このようなことは、ばつが悪いことの中に入れておくべき(記録したくないことなの)だが、「一つも書き落とすな。」
かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど※6、「一つな落としそ☆8。」
と言うので、どうしようか、いやどうしようもない(=書くしかない)。
と言へば、いかがはせむ☆9。
品詞分解
単語 | 品詞等 | |
中納言 | 名詞 | |
参り | 動詞・ラ四・連用形・謙譲 | 作者→中宮 |
給ひ | 補助動詞・ハ四・連用形・尊敬 | 作者→中納言 |
て | 接続助詞 | |
御扇 | 名詞 | |
奉らせ | 動詞・サ下二・連用形・謙譲 | 作者→中宮 |
給ふ | 補助動詞・ハ四・連体形・尊敬 | 作者→中納言 |
に、 | 格助詞 | |
「隆家 | 名詞 | |
こそ | 係助詞(係) | |
いみじき | 形容詞・シク・連体形 | |
骨 | 名詞 | |
は | 係助詞 | |
得 | 動詞・ア下二・連用形 | |
て | 接続助詞 | |
侍れ。 | 補助動詞・ラ変・已然形(結び)・丁寧 | 中納言→中宮 |
それ | 代名詞 | |
を | 格助詞 | |
張ら | 動詞・ラ四・未然形 | |
せ | 助動詞・使役・連用形 | |
て | 接続助詞 | |
参らせ | 動詞・サ下二・未然形・謙譲 | 中納言→中宮 |
む | 助動詞・意志・終止形 | |
と | 格助詞 | |
する | 動詞・サ変・連体形 | |
に、 | 接続助詞 | |
おぼろげ | 形容動詞・ナリ・語幹(助詞「の」がついて連体修飾語になる) | |
の | 格助詞 | |
神 | 名詞 | |
は | 係助詞 | |
え | 副詞 | |
張る | 動詞・ラ四・終止形 | |
まじけれ | 助動詞・不可能・已然形 | |
ば、 | 接続助詞 | |
求め | 動詞・マ下二・連用形 | |
侍る | 補助動詞・ラ変・連体形・丁寧 | 中納言→中宮 |
なり。」 | 助動詞・断定・終止形 | |
と | 格助詞 | |
申し | 動詞・サ四・連用形・謙譲 | 作者→中宮 |
給ふ。 | 補助動詞・ハ四・終止形・尊敬 | 作者→中納言 |
「いかやうに | 形容動詞・ナリ・連用形 | |
か | 係助詞(係) | |
ある。」 | 動詞・ラ変・連体形(結) | |
と | 格助詞 | |
問ひ | 動詞・ハ四・連用形 | |
聞こえ | 補助動詞・ヤ下二・未然形・謙譲 | 作者→中納言 |
させ | 助動詞・尊敬・連用形 | 作者→中宮 |
給へ | 補助動詞・ハ四・已然形・尊敬 | 作者→中宮 |
ば、 | 接続助詞 | |
「すべて | 副詞 | |
いみじう | 形容詞・シク・連用形・ウ音便 | |
侍り。 | 動詞・ラ変・連用形 | 中納言→中宮 |
『さらに | 副詞 | |
まだ | 副詞 | |
見 | 動詞・マ上一・未然形 | |
ぬ | 助動詞・打消・連体形 | |
骨 | 名詞 | |
の | 格助詞 | |
さま | 名詞 | |
なり。』 | 助動詞・断定・終止形 | |
と | 格助詞 | |
なむ | 係助詞(係) | |
人々 | 名詞 | |
申す。 | 動詞・サ四・連体形(結び)・謙譲Ⅱ | 中納言→中宮 |
まことに | 副詞 | |
かばかり | 副詞 | |
の | 格助詞 | |
は | 係助詞 | |
見え | 動詞・ヤ下二・未然形 | |
ざり | 助動詞・打消・連用形 | |
つ。」 | 助動詞・完了・終止形 | |
と | 格助詞 | |
言 | 名詞 | |
高く | 形容詞・ク・連用形 | |
のたまへ | 動詞・ハ四・已然形・尊敬 | 作者→中納言 |
ば、 | 接続助詞 | |
「さては | 接続詞 | |
扇 | 名詞 | |
の | 格助詞 | |
に | 助動詞・断定・連用形 | |
は | 係助詞 | |
あら | 動詞・ラ変・未然形 | |
で、 | 接続助詞 | |
海月 | 名詞 | |
の | 格助詞 | |
な | 助動詞・断定・連体形・撥音便の無表記化 | |
なり。」 | 助動詞・推定・終止形 | |
と | 格助詞 | |
聞こゆれ | 動詞・ヤ下二・已然形・謙譲 | 作者→中納言 |
ば、 | 接続助詞 | |
「これ | 代名詞 | |
は | 係助詞 | |
隆家 | 名詞 | |
が | 格助詞 | |
言 | 名詞 | |
に | 格助詞 | |
し | 動詞・サ変・連用形 | |
て | 助動詞・強意(完了)・未然形 | |
む。」 | 助動詞・意志・終止形 | |
とて、 | 格助詞 | |
笑ひ | 動詞・ハ四・連用形 | |
給ふ。 | 補助動詞・ハ四・終止形・尊敬 | 作者→中納言 |
かやう | 形容動詞・ナリ・語幹 | |
の | 格助詞 | |
こと | 名詞 | |
こそ | 係助詞(係) | |
は、 | 格助詞 | |
かたはらいたき | 形容詞・ク・連体形 | |
こと | 名詞 | |
の | 格助詞 | |
うち | 名詞 | |
に | 格助詞 | |
入れ | 動詞・ラ下二・連用形 | |
つ | 助動詞・強意(完了)・終止形 | |
べけれ | 助動詞・当然・已然形(流れ) | |
ど、 | 接続助詞 | |
「一つ | 名詞 | |
な | 副詞 | |
落とし | 動詞・サ四・連用形 | |
そ。」 | 終助詞 | |
と | 格助詞 | |
言へ | 動詞・ハ四・已然形 | |
ば、 | 接続助詞 | |
いかが | 副詞 | |
は | 係助詞 | |
せ | 動詞・サ変・未然形 | |
む。 | 助動詞・意志・連体形 |
結びの流れ
かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、
係助詞「こそ」が係るのはどこでしょうか。
普通、係る語は已然形で、文が終止します。
しかし、今回は文が終止していません。
その代わり接続助詞「ど」があります。
そう、今回は係助詞「こそ」の係る語はありません。
通常は「入れつべけれ。」と文が終止しますが、
今回のように接続助詞を伴うとき、
文が終止しません。
これを
係り結びの流れ、
係り結びの消滅、
係り結びの消去
などといいます。
『源氏物語』においてもこれは見られます。
撥音便の無表記化
海月のななり。
この「ななり」について品詞分解できますか。
これは
断定の助動詞「なり」の連体形
+
推定の助動詞「なり」の終止形です。
つまり
本来これは「なるなり」という形です。
しかし発音の都合
「なんなり」と「ン音」へ変化していきます。
これを撥音便といいます。
そして「ん」は無表記化されることがあるため、
「ななり」となります。
「あなり」「べかめり」についても同様なことがいえます。
「あなり」は
ラ変動詞「あり」の連体形
+
推定の助動詞「なり」の終止形で
「あるなり」が本来です。
「べかめり」は
推定の助動詞「べし」の連体形
+
「推定の助動詞「めり」の終止形で
「べかるめり」が本来の形です。
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