【無料教材】『土佐日記』「門出・馬のはなむけ」

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はじめに

【作者】

紀貫之

【成立】

平安時代(935年ごろ)

〔平安時代は794~1185年ごろ〕

【ジャンル】

日記文学

【別タイトル】

「門出」「馬のはなむけ」など

【『土佐日記』の特徴】

仮名文で書かれた最古の日記文学女性に仮託して記している。(貫之自身を第三者の視点で書く。)

土佐守の任期が終わり、京への帰路、934年12月21日~935年2月16日までの55日間を記録する。

「門出」は基本的に国語総合に載っており、文章は難しくありません。

この部分ではよく「面白さはなにか」ということを聞かれます。

私たちでは気づきにくい、当時の人たちが持っていた言葉への鋭敏な感性をぜひ体感してみましょう。

教員の方はコピペ等で教材づくりに有効活用してください。


概要

男性の書くという日記を女の私もしてみようと思う。

12月21日の夜八時ごろ仮の宿へ出発する。

紀貫之は、国司の仕事の引継ぎを終え、夜は多くの人と大騒ぎをした。

 22日に和泉の国までの安全を祈願し、船旅ではあるが「馬のはなむけ」をしてもらう。多くの人は不思議なことに潮海のほとりでふざけあっている。




解説

本文

男もすなる日記(にき)というものを、女もしてみむとて、するなり。

 それの年の十二月(しはす)二十日(はつか)あまり一日(ひとひ)の日の、(いぬ)の時に、門出す。そのよし、いささかにものに書きつく。

 ある人、(あがた)四年(よとせ)五年(いつとせ)果てて、例のことどもみなし終えて、()()など取りて、住む(たち)より出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。年ごろよく比べつる人々なむ、別れ難く思ひて、日しきりにとかくしつつののしるうちに、夜更けぬ。

 二十ニ日(はつかあまりふつか)に、和泉(いずみ)の国までと、平らかに(ぐわん)立つ。藤原ときざね、船路(ふなじ)なれど(むま)のはなむけす。上中下(かみなかしも)()ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにてあざれ合へり。

(注付)

 男もすなる☆1日記(にき)※1というものを、女※2もしてみむとて、するなり☆2

 それの年※3十二月(しはす)※4二十日(はつか)あまり一日(ひとひ)の日の、(いぬ)の時※5に、門出す。そのよし☆3、いささかにものに書きつく。

 ある人※6(あがた)四年(よとせ)五年(いつとせ)※7果てて、例のことども※8みなし終えて、()()※9など取りて、住む(たち)※10より出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、※11送りす。年ごろよく比べつる人々※12なむ☆4、別れ難く思ひて☆5、日しきりに☆6とかく☆7しつつののしる☆8うちに、夜更けぬ。

 二十ニ日(はつかあまりふつか)に、和泉(いずみ)の国※13までと、平らかに(ぐわん)立つ☆9。藤原ときざね※14船路(ふなじ)なれど(むま)のはなむけす※15上中下(かみなかしも)()ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにてあざれ※16合へり。


補足・注

※1「日記」…本来日記は「男性」が公的なことや備忘として「漢文体」で書かれていた。それを「女性」の体で「仮名文」で書いたのが『土佐日記』である。

※2「女」…紀貫之が女性の視点に立って書いた。

※3「それの年」…任期を終えた934年

※4「しはす」…「師走」との表記もある

※5「戌の時」…午後八時ごろ

※6「ある人」…紀貫之自身。「女性」の立場から見ると「ある人」にあたる。

※7「県の四年五年」…国司の任期は4・5年

※8「例のことども」…慣例通りの、国司交代の引継ぎ業務

※9「解由」…解由状。新任者が発行する、前任者の業務が過失なく行われたことを証明する公文書。

※10「住む館」…国司の官舎。

※11「知る知らぬ」…「知っている人も、知らない人も」

※12「比べつる人々」…仲良くしてきた人たち

※13「和泉の国」…現在の大阪府南部

※14「藤原ときざね」…伝未詳

※15「馬のはなむけ」…送別の宴。馬の鼻を旅路に向け、安全を祈る。

◎紀貫之はこれから船旅なのに、陸路を行く「馬」という言葉を使うおもしろさ。

※16「あざれ」…終止形「あざる」で「腐る」「ふざける」の意味。

◎「塩(=塩)」は防腐効果があるのに、そこの人たちは「あざれ合」っている(ふざけあっている=腐っている)、というおもしろさ。




重要単語・文法

☆1「なる」…伝聞の助動詞「なり」連体形

☆2「なり」…断定の助動詞「なり」終止形

◎この二つの「なり」の識別は頻出。

なる日記」の「す」が終止形→サ変の終止形につく「なり」は伝聞・推定

するなり」の「する」が連体形→サ変の連体形につく「なり」は断定

☆3「よし」…ここでは「いきさつ」ほか「理由・由緒・風情・方法」など

☆4「なむ」…係助詞「なむ」。通常は係り結びで結びの語(☆5「思ひて」か☆8「ののしる」)に係り、結びの語を連体形にする。

☆5「思ひて」…通常、「なむ」の結びの語となり、連体形「思う」になるが、接続助詞「て」が「思ふ」についているので、「思ひて」となり、結びが流れている。

☆6「日しきりに」…一日中

☆7「とかく」…あれこれ

☆8「ののしる」…大騒ぎする。通常、「なむ」の結びの語となり、結びの語としての連体形「ののしる」になるが、「うち」を修飾するので連体修飾語としての連用形になり、結びが流れている。

◎このような結びが流れることを「結びの流れ・結びの消滅・結びの消去」という。

☆9「立つ」…下二段活用動詞。自動詞「立つ」は四段活用・他動詞「立つ」は下二段活用。ここは「(願)を立つ」なので他動詞。


現代語訳

【現代語訳のみ】

男もするという日記というものを、女である私もしてみようと思って、するのである。

 ある年(934年)の12月21日の、午後八時ごろに、出発する。そのいきさつを(=間のことを)、すこし物(日記の紙)に書きつける。

ある人(他人である女性に仮託した紀貫之から見た紀貫之自身)が、国司の4・5年の任期を終えて、所定の引継ぎ業務などをすべてし終えて、(後任者より)解由状などをもらって、官舎から出て、船に乗ることになっている所へ移動する。あの人この人、知っている人知らない人が(紀貫之)を見送る。長年仲良くしてきた人々は、別れ難く思って、一日中あれこれして大騒ぎしているうちに夜が更けてしまった。

22日、和泉の国まで(安全にいけますように)と、平穏を願う。藤原ちときざねは、(紀貫之の旅路は馬に乗らない)船路であるけれど「馬のはなむけ」をする。身分の上の人も真ん中の人も下の人もみんな酔っぱらって、とても不思議なことに、(防腐効果のある)潮海(=塩海)のほとりでふざけあっている(=腐っている)。

【現代語訳と本文】

男もするという日記というものを、女である私もしてみようと思って、するのである。

男もすなる日記(にき)というものを、女もしてみむとて、するなり。

ある年(934年)の12月21日の、午後八時ごろに、仮の宿へ出発する。そのいきさつを(=間のことを)、すこし

 それの年の十二月(しはす)二十日(はつか)あまり一日(ひとひ)の日の、(いぬ)の時に、門出す。そのよし、いささかに物(日記の紙)に書きつける。

ものに書きつく。

 ある人(他人である女性に仮託した紀貫之から見た紀貫之自身)が、国司の4・5年の任期を終えて、所定の引継ぎ業務などをすべてし終えて、(後任者より)解由状などをもらって、官舎か

ある人、(あがた)四年(よとせ)五年(いつとせ)果てて、例のことどもみなし終えて、()()など取りて、住む(たち)

ら出て、船に乗ることになっている所へ移動する。あの人この人、知っている人知らない人が(紀貫之)を見送る。仲良くしてきた人々は、

り出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。年ごろよく比べつる人々別れ難く思って、一日中あれこれして大騒ぎしているうちに夜が更けてしまった。

なむ、別れ難く思ひて、日しきりにとかくしつつののしるうちに、夜更けぬ。

 22日、和泉の国まで(安全にいけますように)と、平穏を願う。藤原ちときざねは、(紀貫之の旅路は馬に乗らない)船路であるけれど「馬のはなむ

二十ニ日(はつかあまりふつか)に、和泉(いずみ)の国までと、平らかに(ぐわん)立つ。藤原ときざね、船路(ふなじ)なれど(むま)のはなむ

け」をする。身分の上の人も真ん中の人も下の人もみんな酔っぱらって、とても不思議なことに、(防腐効果のある)潮海(=塩海)のほとりでふざけあっている(=腐っている)。

けす。上中下(かみなかしも)()ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにてあざれ合へり。

【現代語訳と本文(注付)】

男もするという日記というものを、女である私もしてみようと思って、するのである。

男もすなる☆1日記(にき)※1というものを、女※2もしてみむとて、するなり☆2

 ある年(934年)の12月21日の、午後八時ごろに、仮の宿へ出発する。そのいきさつを(=間のことを)、

それの年※3十二月(しはす)※4二十日(はつか)あまり一日(ひとひ)の日の、(いぬ)の時※5に、門出す。そのよし☆3すこし物(日記の紙)に書きつける。

いささかにものに書きつく。

 ある人(他人である女性に仮託した紀貫之から見た紀貫之自身)が、国司の4・5年の任期を終えて、所定の引継ぎ業務などをすべてし終えて、(後任者より)解由状などをもらって、

ある人※6(あがた)四年(よとせ)五年(いつとせ)※7果てて、例のことども※8みなし終えて、()()※9など取りて、官舎から出て、船に乗ることになっている所へ移動する。あの人この人、知っている人知らない人が(紀貫之)を見送る。長年

住む(たち)※10より出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、※11送りす。年ご仲良くしてきた人々は、別れ難く思って、一日中あれこれして大騒ぎしている

ろよく比べつる人々※12なむ☆4、別れ難く思ひて☆5、日しきりに☆6とかく☆7しつつののうちに夜が更けてしまった。

しる☆8うちに、夜更けぬ。

 22日、和泉の国まで(安全にいけますように)と、平穏を願う。藤原ちときざねは、(紀貫之の旅路は馬に乗らない)船路であるけれど「馬

二十ニ日(はつかあまりふつか)に、和泉(いずみ)の国※13までと、平らかに(ぐわん)立つ☆9。藤原ときざね※14船路(ふなじ)なれど(むま)

のはなむけ」をする。身分の上の人も真ん中の人も下の人もみんな酔っぱらって、とても不思議なことに、(防腐効果のある)潮海(=塩海)のほとりでふざけあっている(=腐っている)。

のはなむけす※15上中下(かみなかしも)()ひ飽きて、いとあやしく、潮海のほとりにてあざれ※16合へ

り。





品詞分解

品詞分解はこちらをご覧ください。

結びの流れ

係り結びの法則についてですが、

今回見られる係助詞は「なむ」です。

これは、通常は係り結びで、結びの語(「思ひて」か「ののしる」)に係り、結びの語を連体形にします。

しかし、その結びの語が結びの語としては連体形なっていません。

「思ひて」は通常、「なむ」の結びの語となり、連体形「思う」になりますが、接続助詞「て」が「思ふ」についているので、「思ひて」となり、結びが流れています。

「ののしる」は「大騒ぎする」の意味で、こちらんも通常、「なむ」の結びの語となり、結びの語としての連体形「ののしる」になるが、「うち」を修飾するので連体修飾語としての連体形になり結びが流れています。

このような結びが流れることを「結びの流れ・結びの消滅・結びの消去」といいます。





土佐日記の面白さ

船路(ふなじ)なれど(むま)のはなむけす。

紀貫之が四国から京に帰るには、これから船に乗らなければなりません。この旅路を「船路」といいます。船に乗っているときは、陸路を行く馬なんて必要ありませんよね。けれども「送別の宴・餞別」を表す「『馬』のはなむけ」という言葉をあえて用いることで、「船路なのに馬」という面白さがあります。「なれど」という逆説の表現が使用されているのがポイントです。

◎潮海のほとりにてあざれ合へり。

当時は保冷の技術が発達してないので、生ものなどはすぐに腐り、保存がききませんでした。この「腐る」ことを古語では「あざる(鯘る)」といいます。そして腐るのを防ぐために使用されたのが防腐効果のある「塩」なのです。だから塩分が含まれる「潮海(=塩海)」にも防腐効果がありそうです。

一方、宴会の場ではたくさんの人がお酒に酔いしれています。このことを古語で「あざる(戯る・狂る)」といいます。「鯘る」と同じですね。

このことからあざる(「戯る・狂る」)はずのない潮海の近くで、人々があざる(「鯘る」)という面白さがあります。





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