はじめに
【筆者】
鴨長明
【成立】
鎌倉時代(1211~1216年の間)
〔鎌倉時代自体は1185~1333年〕
【ジャンル】
歌論書
【別タイトル】
「おもて歌のこと」「深草の里」「俊成自讃歌のこと」など
【特徴】
和歌・歌人・歌の心得などについて記している。
またこの「おもて歌のこと」は、鴨長明とその歌の師匠である俊恵が会話している場面で、前半と後半のニ段落に分けられる。
前半は、俊恵が俊成(五条三位入道)のもとを訪れた時のやりとりの回想である。誰が何を話しているかがわかりにくいので、敬語や会話内容から理解していく必要がある。
後半は、この回想を踏まえて、俊恵がどう思っているかを鴨長明に述べている場面である。
上記の【特徴】にあるように、だれが何を話しているかが大変わかりにくいので、敬語を中心に丁寧に確認していく必要があります。
概要
俊恵が俊成のもとに訪れた際、俊成は「『夕されば…』が代表歌である」と言ったが、俊恵は後にこっそりと鴨長明に、「あの歌は三句目が残念だ。」と述べた。その折に、俊恵は鴨長明に「私の代表歌は『み吉野の…』である。後世の人のそう伝えてください。」と言った。
解説
本文
俊恵曰はく、「五条三位入道のみもとにまうでたりしついでに、『御詠の中には、いづれをか優れたりと思ほす。人は、よそにて様々に定め侍れど、それをば用ゐ侍るべからず。まさしく承らん。』と聞こえしかば、
「夕されば野辺の秋風身に染みて鶉鳴くなり深草の里
これをなん、身にとりておもて歌と思ひ給ふる。』と言はれしを、俊恵また曰はく、『世にあまねく人の申し侍るには、
面影に花の姿を先立てて幾重超え来ぬ峰の白雲
これを優れたるやうに申し侍るはいかに。』と聞こゆ。『いさ。よそにはさもや定め侍るらん、知り給へず。なほ自らは、先の歌には言ひ比ぶべからず。』とぞ侍りし。」と語りて、これをうちうちに申ししは、「かの歌は、『身に染みて』と言ふ腰の句のいみじう無念におぼゆるなり。これほどになりぬる歌は、景気を言ひ流して、ただそらに身に染みけんかしと思はせたるこそ、心にくくも優にも侍れ。いみじく言ひもてゆきて、歌の詮とすべきふしをさはさはと言ひ表したれば、むげにこと浅くなりぬるなり。」とぞ。そのついでに、「我が歌の中に、
み吉野の山かき曇り雪降れば麓の里はうちしぐれつつ
これをなん、かの類ひにせんと思ひ給ふる。もし世の末におぼつかなく言ふ人もあらば、『かくこそいひしか。』と語り給へ。」とぞ。
(注付)
俊恵※1曰はく、「五条三位入道※2のみもとにまうで☆1たりしついで☆2に、『御詠の中には、いづれをか優れたりと思ほす☆3。人は、よそにて様々に定め侍れど、それをば用ゐ侍るべからず。まさしく承ら☆4ん。』と聞こえ☆5しかば、
「夕されば野辺の秋風身に染みて鶉鳴くなり深草の里※3
これをなん、身にとりておもて歌と思ひ給ふる☆6。』と言はれしを、俊恵また曰はく、『世にあまねく☆7人の申し侍るには、
面影に花の姿を先立てて幾重超え来ぬ峰の白雲※4
これを優れたるやうに申し侍るはいかに。』と聞こゆ。『いさ※5。よそにはさもや定め侍るらん☆8、知り給へ☆9ず。なほ自らは、先の歌には言ひ比ぶべからず。』とぞ侍りし。」と語りて、これをうちうちに申しし☆10は、「かの歌は、『身に染みて』と言ふ腰の句※6のいみじう無念におぼゆるなり。これほどになりぬる歌は、景気☆11を言ひ流して、ただそらに身に染みけんかしと思はせたるこそ、心にくく☆12も優にも侍れ。いみじく言ひもてゆきて※7、歌の詮※8とすべきふしをさはさはと☆13言ひ表したれば、むげに☆14こと浅くなりぬるなり。」とぞ☆15。そのついでに、「我が歌の中に、
み吉野の山かき曇り雪降れば麓の里はうちしぐれつつ※9
これをなん、かの類ひにせんと思ひ給ふる☆16。もし世の末におぼつかなく☆17言ふ人もあらば、『かくこそいひしか。』と語り給へ。」とぞ☆18。
補足・注
※1俊恵…歌人。鴨長明の歌の師。
※2入道…藤原俊成。「俊成」ともいう。
※3夕されば~…俊成が思う、自身の代表歌。夕方になると野辺の秋風が身に染みて、鶉が鳴いているようだ(鳴いているのが聞こえる)この深草(京都市伏見区の地名)の里では。
※4面影に~…世間の人が思う、俊成の代表歌。白雲に花の姿を想い馳せて、後を追い、幾重もの峰を越えて来た。
※5いさ…さあ。
※6腰の句…第三句
※7言ひもてゆきて…言い流す程度にして
※8歌の詮…中心になるところ。眼目
※9み吉野の~…俊恵が思う、自身の代表歌。「み吉野の」の「み」は美称。み吉野(奈良県吉野郡)の山が曇って雪が降ると麓の里ではしきりに(冷たく・さみしい)時雨が降る
重要単語・文法
☆1まうで…参上する。謙譲語「まうづ」の連用形。俊恵から俊成へ。
☆2ついで…ときに。折に。機会に。
☆3思ほす…尊敬語「思ほす」の連体形。俊恵から俊成へ。「いづれをか」の係助詞「か」の結びの語。
☆4承ら…お聞きする。謙譲語「承る」の未然形。俊恵から俊成へ。
☆5聞こえ…申し上げる。謙譲語「聞こゆ」の連用形。俊恵から俊成。
☆6給ふる…~ております。下二段活用なので、謙譲語「給ふ」の連体形。俊成から俊恵。「これをなん」の係助詞「なん」の結びの語。
◎「給ふ」には四段活用と下二段活用がある。前者は尊敬語で、後者は謙譲語。
よく出題されるところでもあるので区別しておきましょう。
☆7あまねく…広く。
◎「普遍」はどちらも「普く」「遍く」と読む。
☆8らん…現在推量の助動詞「らん(む)」の連体形。「よそにはさもや」の係助詞「や」の結びの語。
☆9給へ…下二段活用なので、謙譲語「給ふ」の未然形。俊成から俊恵。
☆10うちうちに申しし…「こっそりと申しました」。副詞「うちうちに」、動詞「申し」、助動詞「し」に分解。
◎「申す」は謙譲語であるが、ここは「鴨長明(書き手)→読者」への敬意。
「うちうちに申しし」は俊恵の行動なので、俊恵に対する敬意であるなら、そもそも尊敬語でなくてはならない。また、俊恵に「うちうちに申」されたのは、鴨長明なので、通常であれば謙譲語で、動作の受け手である鴨長明自身に対する敬意となる。しかしこれは適切ではない。
実は、謙譲語は「謙譲語Ⅰ」と「謙譲語Ⅱ」に細別できる。Ⅰは、通常の、動作の受け手に対する敬意を表すものである。一方でⅡは、「私は〇〇と申します。」の「申します」のように、聞き手に対して敬意を払う丁寧語のような働きをする。このような性質を持つ謙譲語を「謙譲語Ⅱ」もしくは「丁重語」と呼ぶ。
☆11景気…情景。
☆12心にくし…奥ゆかしい。
☆13さはさはと…はっきりと。
☆14むげに…ひどく。
☆15とぞ…と言った。「とぞ」の下に「言ひける。」などが省略されている。
☆16給ふる…下二段活用なので、謙譲語「給ふ」の連体形。俊恵から鴨長明へ。「これをなん」の係助詞「なん(なむ)」の結びの語。
☆17おばつかなく…はっきりしない。よくわからない。気がかりだ。
☆18とぞ…と言った。「とぞ」の下に「言ひける。」などが省略されている
現代語訳
【現代語訳のみ】
(わたくし鴨長明の和歌の師である)俊恵が(わたくしに)いうことには、「五条三位入道(=藤原俊成)のお屋敷に参上したときに、(私が俊成に)『あなたの歌の中では、どの歌を優れているとお思いですか。ほかの人はさまざまに評定していますが、その意見を用いるべきではございません。まさに今お聞かせ願いたいと思う。』と申し上げたところ、
夕方になると野辺の秋風が身に染みて、鶉が鳴いているようだ(鳴いているのが聞こえる)この深草(京都市伏見区の地名)の里では。
これを私の代表歌と思っております。」と(俊成が)言いなさったのを、わたくし俊恵が、また言ったことは、『世の中の広くの人々が申しますは、
白雲に花の姿を想い馳せて、後を追い、幾重もの峰を越えて来た。
これを、優れているように申しますは、いかがでしょうか。』と申し上げると、(俊成は)『さあ、よそではそのように評定しているかもしれませんが、知ったことではございません。やはり、わたくし自らは、(「面影に」の歌は)先ほどの歌(夕されば)には、言い比べることはできない。』とございました。」と(俊恵がわたくし鴨長明に)に語って、このことを、こっそりと申したことは、「あの歌は『身に染みて』という三句がとても残念に思われる。これほどの歌は、情景を言い流す程度にして、ただ、それとなく身に染みたのだろうなぁと思わせることこそが、奥ゆかしくも優美でもあります。ひどく言葉で表現してしまって、歌の要にするべき部分を、はっきりと言い表しているので、ひどく歌の情趣が浅くなってしまった。」といって、その折に、「わたくし(俊恵)の歌の中では、
み吉野(奈良県吉野郡)の山が曇って雪が降ると麓の里ではしきりに時雨が降る
この歌を、この類(代表歌)としようと思いまず。もし後の世に(俊恵の代表歌が)はっきりしないという人がいれば、『(俊恵)がこのように(み吉野の~と)言った。』と語りなされ。」と言った。
【本文と現代語訳】
(わたくし鴨長明の和歌の師である)俊恵が(わたくしに)いうことには、「五条三位入道(=藤原俊成)のお屋敷に参上したときに、(私が俊成に)『あなたの歌の中では、どの歌を
俊恵曰はく、「五条三位入道のみもとにまうでたりしついでに、『御詠の中には、いづれを
優れているとお思いですか。ほかの人はさまざまに評定していますが、その意見を用いるべきではございません。まさに
か優れたりと思ほす。人は、よそにて様々に定め侍れど、それをば用ゐ侍るべからず。まさ
今お聞かせ願いたいと思う。』と申し上げたところ、
しく承らん。』と聞こえしかば、
夕方になると野辺の秋風が身に染みて、鶉が鳴いているようだ(鳴いているのが聞こえる)この深草(京都市伏見区の地名)の里では。
「夕されば野辺の秋風身に染みて鶉鳴くなり深草の里
これを私の代表歌と思っております。」と(俊成が)言いなさったのを、わたくし俊恵が、また言ったことは、『世の中の広
これをなん、身にとりておもて歌と思ひ給ふる。』と言はれしを、俊恵また曰はく、『世にあ
くの人々が申しますは、
まねく人の申し侍るには、
白雲に花の姿を想い馳せて、後を追い、幾重もの峰を越えて来た。
面影に花の姿を先立てて幾重超え来ぬ峰の白雲
これを、優れているように申しますは、いかがでしょうか。』と申し上げると、(俊成は)『さあ、よそではそのように評定しているかもしれませんが、
これを優れたるやうに申し侍るはいかに。』と聞こゆ。『いさ。よそにはさもや定め侍るらん、
知ったことではございません。やはり、わたくし自らは、(「面影に」の歌は)先ほどの歌(夕されば)には、言い比べることはできない。』とございました。」と(俊恵がわたくし鴨長明に)に語って、このことを、
知り給へず。なほ自らは、先の歌には言ひ比ぶべからず。』とぞ侍りし。」と語りて、これを
こっそりと申したことは、「あの歌は『身に染みて』という三句がとても残念に思われる。
うちうちに申ししは、「かの歌は、『身に染みて』と言ふ腰の句のいみじう無念におぼゆるな
これほどの歌は、情景を言い流す程度にして、ただ、それとなく身に染みたのだろうなぁと思わせる
り。これほどになりぬる歌は、景気を言ひ流して、ただそらに身に染みけんかしと思はせた
ことこそが、奥ゆかしくも優美でもあります。ひどく言葉で表現してしまって、歌の要にするべき部分を、はっきり
るこそ、心にくくも優にも侍れ。いみじく言ひもてゆきて、歌の詮とすべきふしをさはさは
と言い表しているので、ひどく歌の情趣が浅くなってしまった。」といって、その折に、「わたくし(俊恵)の歌の中では、
と言ひ表したれば、むげにこと浅くなりぬるなり。」とぞ。そのついでに、「我が歌の中に、
み吉野(奈良県吉野郡)の山が曇って雪が降ると麓の里ではしきりに(冷たく・さみしい)時雨が降る
み吉野の山かき曇り雪降れば麓の里はうちしぐれつつ
この歌を、この類(代表歌)としようと思いまず。もし後の世に(俊恵の代表歌が)はっきりしないという人がいれば、
これをなん、かの類ひにせんと思ひ給ふる。もし世の末におぼつかなく言ふ人もあらば、『か
『(俊恵)がこのように(み吉野の~と)言った。』と語りなされ。」と言った。
くこそいひしか。』と語り給へ。」とぞ。
【本文と現代語訳(注付)】
(わたくし鴨長明の和歌の師である)俊恵が(わたくしに)いうことには、「五条三位入道(=藤原俊成)のお屋敷に参上したときに、(私が俊成に)『あなたの歌の中では、
俊恵※1曰はく、「五条三位入道※2のみもとにまうで☆1たりしついで☆2に、『御詠の中に
どの歌を優れているとお思いですか。ほかの人はさまざまに評定していますが、その意見を用いる
は、いづれをか優れたりと思ほす☆3。人は、よそにて様々に定め侍れど、それをば用ゐ侍
べきではございません。まさに今お聞かせ願いたいと思う。』と申し上げたところ、
るべからず。まさしく承ら☆4ん。』と聞こえ☆5しかば、
夕方になると野辺の秋風が身に染みて、鶉が鳴いているようだ(鳴いているのが聞こえる)この深草(京都市伏見区の地名)の里では。
「夕されば野辺の秋風身に染みて鶉鳴くなり深草の里※3
これを私の代表歌と思っております。」と(俊成が)言いなさったのを、わたくし俊恵が、また言ったことは、『世の
これをなん、身にとりておもて歌と思ひ給ふる☆6。』と言はれしを、俊恵また曰はく、『世
中の広くの人々が申しますは、
にあまねく☆7人の申し侍るには、
白雲に花の姿を想い馳せて、後を追い、幾重もの峰を越えて来た。
面影に花の姿を先立てて幾重超え来ぬ峰の白雲※4
これを、優れているように申しますは、いかがでしょうか。』と申し上げると、(俊成は)『さあ、よそではそのように評定している
これを優れたるやうに申し侍るはいかに。』と聞こゆ。『いさ※5。よそにはさもや定め侍る
かもしれませんが、知ったことではございません。やはり、わたくし自らは、(「面影に」の歌は)先ほどの歌(夕されば)には、言い比べることはできない。』とございました。」と(俊恵がわたくし鴨長明に)に語っ
らん☆8、知り給へ☆9ず。なほ自らは、先の歌には言ひ比ぶべからず。』とぞ侍りし。」と語
て、このことを、こっそりと申したことは、「あの歌は『身に染みて』という三句がとて
りて、これをうちうちに申しし☆10は、「かの歌は、『身に染みて』と言ふ腰の句※6のいみ
も残念に思われる。これほどの歌は、情景を言い流す程度にして、ただ、それとなく身
じう無念におぼゆるなり。これほどになりぬる歌は、景気☆11を言ひ流して、ただそらに身
に染みたのだろうなぁと思わせることこそが、奥ゆかしくも優美でもあります。ひどく言葉で表現してしまって、
に染みけんかしと思はせたるこそ、心にくく☆12も優にも侍れ。いみじく言ひもてゆきて※
歌の要にするべき部分を、はっきりと言い表しているので、ひどく歌の情趣が浅くなって
7、歌の詮※8とすべきふしをさはさはと☆13言ひ表したれば、むげに☆14こと浅くなりぬる
しまった。」といって、その折に、「わたくし(俊恵)の歌の中では、
なり。」とぞ☆15。そのついでに、「我が歌の中に、
み吉野(奈良県吉野郡)の山が曇って雪が降ると麓の里ではしきりに(冷たく・さみしい)時雨が降る
み吉野の山かき曇り雪降れば麓の里はうちしぐれつつ※9
この歌を、この類(代表歌)としようと思いまず。もし後の世に(俊恵の代表歌が)はっきりしないという人がい
これをなん、かの類ひにせんと思ひ給ふる☆16。もし世の末におぼつかなく☆17言ふ人もあ
れば、『(俊恵)がこのように(み吉野の~と)言った。』と語りなされ。」と言った。
らば、『かくこそいひしか。』と語り給へ。」とぞ☆18。
品詞分解
品詞分解はこちらをご覧ください。
和歌
夕されば 野辺の秋風 身に染みて
鶉鳴くなり/ 深草の里
【解釈】
夕方になると野辺の秋風が身に染みて、鶉が鳴いているようだ(=鳴いているのが聞こえる)この深草(京都市伏見区の地名)の里では。
【修辞法】
〇四句切れ 〇倒置法…四句目と五句目 〇体言止め…「深草の里」
【歌について】
〇『千載和歌集』に入集。
『伊勢物語』の123段を踏まえた歌。以下は123段の要約。
男が深草に住む女に飽き、このような歌を詠んだ。
何年も通って来たこの土地を(私が)出ていったとしたら、ますます(この深草の地は)野に覆われてしまうだろうか。
女の返歌は、
(ここが)野になれば、私は鶉となって泣いていよう。狩りだけにでもあなたがこないでしょうか、いや来るでしょうから。(=あなたがきっと来るでしょうから。)
男は感動して出ていく気がなくなった。
面影に 花の姿を 先立てて
幾重越え来ぬ/ 峰の白雲
【解釈】
白雲に花の姿を想い馳せて、それに誘われるように後を追い、幾重もの峰を越えて来た。
【修辞法】
〇四句切れ 〇倒置法…四句目と五句目 〇体言止め
【歌について】〇『新勅撰和歌集』に入集。
み吉野の 山かき曇り 雪降れば
麓の里は うちしぐれつつ
【解釈】
み吉野(奈良県吉野郡)の山が曇って雪が降ると、麓の里ではしきりに(冷たい・さみしい)時雨が降ることよなぁ。
【修辞法】
〇つつ止め…和歌の文末を「つつ」で止め、動作・作用の継続を詠嘆的に表す。
【歌について】〇『新古今和歌集』に入集。
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