はじめに
「六書」については後に説明する「転注」に関しては、
その説明に定説はなく、
あくまで、
生徒に説明をするならというレベルに落とし込んでいます。
興味のある方はこちらをチェックしてください。
また「仮借」についても学者によって意見が分かれることがあります。
六書とは
「六書」の読み方は「りくしょ」です。
100年ごろに後漢の許慎によって作られた『説文解字』に詳しく説明があります。
しかし、
そのうち転注に関しては説明が極端に少なく、
現在でも定説がありません。
また仮借についても説明が少ないため、
学者により意見が分かれます。
さて、
六書とは、漢字の成り立ちや用い方を
「転注・仮借」
の六つに分類したものです。
特に前者を「造字法」、
後者を「用字法(転用法)」などといいます。
本記事では「用字法」について書きます。
造字法については以下の記事に書いてますのでご覧ください。
用字法(転用法)とは
造字法はその名の通り、
漢字を造る法則、
つまり漢字の成り立ちについての法則です。
一方で
用字法(転用法)は、
こちらもその名の通り
「ある漢字を、本来の用い方から転用させる法則」です。
それでは転用法にあたる「転注」と「仮借」についてみてみましょう。
転注
転注とは、
ある漢字の意味を関連・類似する意味に転用することです。
『説文解字』には「老」と「考」が例として挙げられています。
しかし詳しい説明はなく、定説はありません。
ここでは別の漢字で説明していきます。
例えば、「楽」や「比」です。
「楽」は「ガク・ラク」と音読みしますね。
「楽」は本来は
「楽器・音楽」という意味の象形文字です。
そして音楽を演奏することは「楽しい」ですよね。
だから「楽」が「たのしい(楽)」という意味として転用されたのです。
また「比」は、
「人が二人並んでいる」ことを表す意味でした。
そこから
その二人を「くらべる」という意味に転用されたのです。
これらのように、
「もともとの漢字の意味を関連・類似する意味に転用する」用法を転注というのです。
ただあくまで定説はありません。
よって私みかたんごが示す説も諸説にすぎません。
仮借
仮借とは、
ある漢字が、意味と関係なく、音のつながりで別の漢字を借りることです。
『説文解字』では「令」と「長」の二字が挙げられています。
しかしこれは、
仮借として妥当か意見の分かれるところなので、
今回は別の字で説明をしていきます。
多くの辞書等に載っている「我」です。
「我」はギザギザした刃をもつ矛やのこぎりのことです。
「わたし」という意味とは関係がありません。
一方で「わたし」を表す語には、
音はあれど漢字がありませんでした。
それを文字にする際に、
音が同じ、もしくは似ているということで
意味は関係なく
「我」が使用されたのです。
それにより
「我」が「わたし」という意味を表すようになりました。
このように、
ある漢字が、意味と関係なく、音のつながりで別の漢字を借りることを仮借といいます。
なお、転注との違いは、
転注が、音を介さず意味が広がるのに対し、
仮借は、音を介して意味が広がっていきます。
仮借=当て字?
誤解を恐れず、もっと砕けた考え方をすれば「当て字」のようなものでしょうか。
たとえば、「夜露死苦」、「亜米利加」などです。
それぞれの漢字は、音だけが用いられ、その漢字の意味とは関係がありません。
これが当て字です。
ただし、
仮借はその漢字に意味の転義(変化)が見られるものなので、
当て字=仮借というのは厳密には微妙なところだと思います。
なお、「米」はその字が「アメリカ」を指すので、仮借といえるかもしれません。
ほかに
印度を表す「印」、英吉利を表す「英」などもです。
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